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2016/04/03 15:07

※真田幸村レポート「疾風の如く 掠火の如く(かぜのごとく ひのごとく)」を読んでいただける前に
 下記の“ご注意”をご確認ください。よろしくお願いいたします。

「疾風の如く 掠火の如く」☆読んでいただく前のご注意☆ Attention please!!


※主要登場人物のイメージイラスト は こちら ⇒ 「疾風掠火」青年期 人物紹介

※ここまでの「疾風の如く 掠火の如く」 は こちら ⇒ カテゴリ「疾風の如く 掠火の如く」



☆Report of Yukimura Sanada / by Shizuoka Chaho 1000

《疾風の如く 掠火の如く》



◇Chapter:8 【天下統一】◇



8-1「第二局面へ」



 北方隊が上野の北条属城を全て陥落させた後、
真田昌幸は秀吉からの書状でそれらの仕置を命じられた為、

矢沢頼綱、出浦盛清らと共に、北条方の武器・兵糧・弾薬等の没収を行い、
次の攻略地である鉢形城へ向かった前田軍と上杉軍には 信幸と信繁を同行させた。

 そして頼綱と盛清はそのまま沼田城、名胡桃城に留め置き、その後の管理をまかせて
自らは残りの真田軍を率いて鉢形城へと向かったのだ。


この間も、昌幸と秀吉の間では何度も書簡の遣り取りが為されている。

昌幸としても“全て関白の意のままに”という意思表示を怠らず、
決して勝手な判断で実行する事無く報告し、

一方秀吉としても、北方隊の活動の連絡報告と周辺地域の状況把握に関して、

昌幸の遣わす真田忍軍のもたらす情報が最も早く、現状に近く正確なので、
度々の昌幸からの書簡を喜んで受け入れ、必要があれば返事を送っていた。

秀吉と昌幸の間には十分な信頼関係が築かれていたと言ってよいであろう。



さて、この時点での北条征伐の進行状況を大まかに纏めると、

東海道を進む主力隊は、北条氏規の守る韮山城の攻略には てこずっていたものの、
山中城は一日で陥落し、
秀吉は既に、北条氏の本城である小田原城攻めに進んでいた。

しかし、巨大な惣構えの小田原城は外から攻撃を仕掛けても
ほとんど効果が無かったのである。

そこで秀吉は小田原城に関しては長期戦を決め込み、石垣山へ密かに城を築き、
小田原城を包囲しながらも兵を分け、属城攻略を進めさせていった。

そして玉縄城、江戸城も難なく開城させ、参陣した大名たちの臣従を受け入れ、
関東の北条属城は次々と豊臣に降伏していったものである。

海を進む長宗我部元親らの水軍も伊豆の下田城を落とし、小田原を囲むべく
船を進めていた。


小田原北条征伐概要略図



 北方隊は大道寺政繁の案内で武蔵の要衝 鉢形城への攻略を開始したのであるが、
この鉢形城を守っていた北条武将はかつて武田信玄とも渡り合った北条氏邦である。

北条氏邦は北条氏政と氏照の弟であり、
藤田氏の家督を継ぎ、上野における北条の軍事統括を任されていた人物で、
天下に聞こえた猛将であった。


氏邦はそもそも好戦的な性格である上、この北条征伐の発端となった沼田城代の
猪俣範直の指揮官なのである。

それだけに、簡単には引く事が出来ない意地もあり、
北条一族の評定では小田原城での籠城に反対し、大規模な野戦を主張したが容れられず、

ならば我が道をゆくとて 自身の居城の鉢形城に籠って抗戦していたのであった。


そもそも鉢形城は武田信玄が攻め落とすのを諦めたほどの堅城でもあり、
また氏邦の率いる北条兵もなにしろ士気が高く、

前田利家は此度も攻めあぐね、ついには秀吉に援軍要請をせねばならないほどであったのだ。


やがて、岩槻城を落とした浅野長政、本多忠勝らが援軍として駆けつけた為、
大砲による攻撃で城郭の破壊に成功し、

上杉家臣であった藤田信吉(氏邦の義弟)が 鉢形城へ説得に赴き
ようやく六月半ばになって氏邦は降伏勧告を受け入れ、開城に至ったのであった。


◇     ◆     ◇



さてこの鉢形城を攻めている最中に信繁は、

急遽、秀吉からの指示により、父や兄と分かれて
石田三成、大谷吉継らの進める忍城攻めに加わる事となったのである。


三成も吉継も、今までの戦では、
直接戦陣で指揮する事よりも、兵站準備や後方支援として動くことがほとんどで、

この度もその実務能力を秀吉から高く評価されていたのであったが、

普段から 慰労や同情のような他人を労わる言葉を不要とする 合理主義の三成が、
なかなか落城に至らない韮山城攻めを非難し、

(三成自身は非難というより、ただ客観的に事実を述べただけのつもりだったのだが)

韮山攻めを任されていた福島正則ら武断派の不満が増大したらしい。


“ならば忍城を落としてみよ”という事になったようである。


忍城攻略に対し秀吉は、毛利攻めで黒田官兵衛が実行した備中高松城の時のイメージで、
三成に堤を築いて水攻めをするように指示をしたのであるが、

現地で実際の地形を見た吉継は、
備中高松城ほどは水攻めの効果が望めないのではないかと感じていた。


算術の得意な長束正家が利根川からの距離や堤防の高さを計算して
堤を築き始めたのであるが、

どうも吉継には本丸の地面が周りよりも少し高いように見えたのである。

吉継は万一に備え、水攻め以外での戦術にも対応できるよう、
戦の経験が豊富な武名高い武将を 援軍として遣わしてもらえるように秀吉に願い出た。


 しかし、忍城攻略が始められた初期の段階では、まだ周辺諸城でも決着がついておらず、
吉継が望むような、大軍勢を束ねる事が出来る武将を送る事は出来なかったのだ。

せいぜい、この北条征伐で豊臣傘下となった常陸・下野・下総の諸大名が
援軍として送られたのみである。


 そんな状況であったから、大阪での政務を共にする真田信繁ならば
気心が知れている為、何かの役には立ってくれるだろうと、

鉢形城の囲いから抜いて、一足先に忍城へと遣わされたのであった。


信繁が自らの配下と少数の真田兵と共に忍城の陣へ到着すると、

三成は丸墓山古墳に陣を築き、水攻めのための忍城を囲む堤を作っている段階で、
まだ本格的な戦いが行われる前の事であった。


忍城攻めの大将は石田三成、副将は長束正家であったので、まず両名に参陣を報告し、
その後、信繁は直ぐに 堤を築いている現場に出ていた大谷吉継のところに足を運んだ。


「おお、よく来てくれた、信繁よ。上野では初陣ながら随分と活躍したそうではないか。」

吉継は心底嬉しそうに、部下の活躍を褒め称えた。

「儂は自慢ではないが戦場での実戦経験がわずかしかないのだ。
 三成も、正家も似たようなものだ。

 松井田の激戦を戦ってきたお前が来てくれて、本当に心強いぞ。」


 大谷吉継は石田三成の無二の親友ではあるが、自分の力不足な部分も素直に認めて
その能力を有する相手を本心から称える如才なさを持っている。

なので完璧主義者の三成とは違って、理詰めで面倒臭い事を一々言わないので
秀吉子飼いの武断派武将達も 吉継個人に対しては特に反感を抱いていたわけではない。

吉継は文治派と武断派の緩衝材的な役割を担っていたのであった。

秀吉はその事を承知したうえで、大抵の事には三成の補佐に吉継を付けたのである。


「関白殿下の指示で水攻めを行うべく堤を築いているのであるがな……
 ……儂にはどうしても不安要素が拭いきれない。

 だが、皆 水攻めだと思い込んで、全く攻める気構えになって居らぬのだ。

 いざ戦端が開かれた時に、兵たちをまとめ、引っ張ってくれる武将が居らねば、
 忍城を落とすどころか味方が総崩れになってしまうかもしれぬ。

 信繁が来てくれて本当に良かった。

 武名の高い侍大将の率いる援軍が来るまで、なんとか儂を助けてくれ。」

「某ごときが何処までお役に立てるかわかりませぬが、
 出来る限りのお力になりたいと存じます。何でもお申し付けください。」

信繁はいつものようににっこりと笑って吉継に応えた。


「うむ、頼むぞ、信繁よ。……ところで……うむ……」

「はい?」

「……実はその前に、折り入ってお前に頼みたい事があるのだが……。」

吉継には珍しく、少し言い難そうな様子であった。



実は、信繁が忍城へ送られた理由は他にもあったのだ。




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私の史料の読み解きが正しいのであれば、

真田信繁は、上野攻略後は それまで同行していた父や兄と別行動をとり、
(もちろん指示があっての事と思います)

大谷吉継らと共に北条攻め、そして奥州仕置に参加していたように思います。

これは初陣の松井田城攻めの働きにより、
信繁の力量が秀吉に評価されての事ではないかと思っています。

直江兼続や昌幸も忍城の援軍として駆けつけていますが、
やっぱり八王子城落城の後だと思うのですよね。

……となると、地理的な位置関係からも、
信繁はもっと早い段階で、単独で鉢形城から直接忍城へ行ったのではないかな?と。

というわけで、この後の北条攻めは「第二局面」として始めさせていただきました。



小田原城を包囲した時の秀吉の動向は、周知の事ではありますし、

真田軍は、忍城攻めの援軍に出向いて 小田原城包囲には加わっていない感じですので、
省略させていただきました。

それに、仮に小田原に行ったとしても、
戦場に奥様を呼んだり、遊興にかまけたりするようには思えませんでしたので。(笑)



石田三成は戦の武将としてではなく、官僚としての能力が高い人だったと思いますが、
この時期はまだ、戦に勝ってナンボの時代。

武断派の武将たちの価値観が高かった時代でしょうから、

「戦も出来ない奴が威張ってんじゃねーよ!」

という不満はやっぱりあったのだと思います。


石田三成と大抵行動を共にしていたと考えられる大谷吉継さんは信繁の上司ですし、
(※「疾風掠火」設定。でももしかしたら史実でも本当にそうだったかもしれない♪)

ワタクシ、個人的に大谷吉継さんが とても好きなので(*^^*)
思いっきり贔屓して、能力高い人らしく書かせていただきました。エヘヘ♪



今回は繋ぎ的に、豊臣の北条属城攻略の展開状況を説明してある部分については
(簡単ですが)出来る限り史実を確認しながら流れを追ってみました。

大体合っていると思うのですけれど……間違っている所があったらご指摘ください。



……しかしこの続きは 例の如く 最終的な史実から経過を妄想したフィクション全開です。ヾ(´▽`;)ゝ

戦好きの方はガッカリされるかもしれませんが……、
これを抑えておかないと後が続かないので(←ワタシ的にww)書かせていただきました。


……この時期じゃないとダメだったんです~~~!(私には、他には考えられなかった……。)

どうぞご理解よろしくお願い致します~~~!m(;0;)m

明日のアップはちょっと無理かもしれません。
イレギュラーですが、週の中頃の平日のアップになりそうです。

もしよろしかったらまた見に来てください。m(_ _)m





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最終更新:2016/04/03 15:11

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