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2012/03/23 18:17

カンカラ三線について、今までいろいろと見て、聞いて、理解しているつもりでしたが、
改めてもっと資料を探してみようと思い、先日からいろいろな本を読んでいます。

↓この本は、戦争中の様子を描いた絵本です。
本3.jpg

表紙に描かれている絵は、戦時中、防空壕の中でお父の形見の三線を弾いているところです。
みんなで歩いている風景は、壕に荷物を持って避難する風景です。

壕では集団生活ですので、持っていける荷物も限られます。
その中でも三線は『限られた必要な荷物』だったわけですね。

三線はもともととても高貴なものでしたので、各家庭では「家宝」として扱われていました。
なので、壕に逃げる際も、三線は離さなかったようです。
三線を担いで戦火の中を逃げまわったという話もよく聞きます。

沖縄ではもともと生活の中に「うた」がありました。
農作業をしながら唄を口づさんだり、お祝い事があれば三線を弾いて唄って踊って、というのが日常の風景でした。

戦争中、方言を使用することも禁止されていましたし、大きい声で歌ったり踊ったりすることも禁止されていました。

それでも、壕の中で辛い生活をしながら、声をひそめ歌い踊って、みんなで励ましあっていたようです。

この本の中でカンカラ三線が登場するのは、一番最後。
戦争が終わり、『ヌチヌスージ(命のお祝い)』をしようと三線を弾き、踊ります。

『ヌチヌスージ(命のお祝い)』
生き残った命のお祝いです。
戦後、たくさんの命を失い悲しんでいる家々を回り、「命のお祝いをしましょう」と三線を弾いて歌い踊ったという話も聞きます。

この本の中では、お父の形見であった三線は棹が折れ、皮もボロボロになり、
軍用ベッドの材料と米軍支給の食料の空き缶、パラシュートの紐でカンカラ三線を作り、みんなで歌い踊りました。


たとえ戦争で三線が焼けても、満足のいく音色は出なくても、
三線があり、唄があるだけで、辛い生活を乗り越えるパワーになったのでしょうね。


沖縄の人々の三線に対する『想い』は、「楽器」以上のものがあり、本当に奥の深い楽器です。



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最終更新:2012/03/23 18:17

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