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2016/01/28 11:47

Part 3
ピエール・ブルデュー
ピエール・ブルデュー Pierre Bourdieu(1930~2002)

ピエール・ブルデューは、フランスの社会学者。
コレージュ・ド・フランス名誉教授。哲学から文学理論、社会学、
人類学まで研究分野は幅広い。著書『ディスタンクシオン』が有名。

文化資本、社会関係資本、象徴資本の用語や、ハビトゥス (Habitus)、
界、象徴的暴力などの概念で知られる。

●参考文献●
ピエール・ブルデュー『ディスタンクシオン1と2』石井洋二郎訳、藤原書店、1990/
石井洋二郎『差異と欲望』藤原書店、1993/
ロジェ・ディオン『フランスワイン文化史全書』福田育弘、三宅京子、小倉博行訳/国書刊行会、2001/

◆社会からみる「趣味がよくて、美しいワイン」◆
トンカツや焼きそばを食べながら、ビールか、たまにはボージョレを飲み、
テレビのバラエティ番組を楽しむ。

時々はミニバンで、ファミレスに行って一家団欒をする家族。
お父さんの趣味は打ちっぱなしのゴルフ。

一方、普段は有機野菜のダイエット食ながら、3ヶ月に1回は、
三ツ星レストランや高級懐石に通い、古いボルドーを飲み、帰りは運転手を
指名してリムジンで帰る家族。

みんなで展覧会やクラシック・コンサートに行くのが趣味。
家族環境はずいぶん異なりそうです。好きな映画や音楽、スポーツやレジャー、
食べ物やワインの趣味から、話し言葉、普段の身振りなどに至るまで、名人がとる
行動のすべてが、その人がどんな家庭に生まれ、どんな教育を受け、どんな職業に就き、
どれだけの収入があるかによって決まる、という考え方自体は別段珍しいものではないでしょう。

「どんなものを食べているか言ってみたまえ。君がどんな人間であるかを言いあててみせよう」
とは18世紀の美食評論家ブリア=サヴァラン(1755~1826)の言葉です。

このテーマを学問として掘り下げた、ピエール・ブルデュー(1930~2002)というフランスの
社会学者を取り上げます。

ヒュームからすると、審美眼「趣味=taste(しんびがん⇒一般的には「美を見極める能力」)」は、
普遍性(ふへんせい⇒すべての物事に通じる性質。また、すべての物事に適合する性質)をもつものです。

しかし、その普遍性の根拠がどこにあるかという点については、論理がグルグル循環していて
なんだかよく分かりませんでした。一方ブルデューは、「趣味=taste(審美眼)」とは
社会的に形成された相対的なものでしかなく、その根拠は社会階級にあると考えました。

◆趣味は所属する階級が決める◆
ブルデューの考察(こうさつ⇒物事を明らかにするためによく考え調べること)は、1970年代の
フランス社会を対象に行った広範なアンケートに基づいています。それによると、社会で価値が高いと
見なされる趣味や生活様式は、その社会を動かしている人たち、すなわち「支配階級」が決めるというのです。

たしかに「蓼食う虫も好き好き」(たでくうむしもすきずき⇒タデの辛い葉を食う虫もあるように、
人の好みはさまざまであるということ)で、いろんな人がいろんなものを好きになるのですが、
その良し悪し・・・洗練されているか否かは、支配階級の好みで決まるのだとブルデューは見ます。

社会を動かしている人たちが、お金をもっていないということはあまりないでしょう。
支配階級の人たちが、じつは低学歴ということもなさそうです。ブルデューは、現金や不動産、証券など
お金に換算できる資産の総体を「経済資本」と呼びます。

一方、必ずしもお金には換算できない知識や教養といった「文化的な」獲得物は、「文化資本」と呼びます。
その中には絵画や骨董品のような現物もあれば、学歴や資格のように無形物もあるでしょう。

ほかにも、敬語を正しく使えるとか、正しいマナーで食事ができるといった行動
(ブルデューはこれを「ハビトゥス」と言います)も、文化資本に含まれます。

このふたつの資本の総量が多いか少ないかで、社会の構成員は「支配階級」、「中間階級」、「庶民階級」に分けられます。
さらにブルデューは、それぞれの階級の構成員を、所有している経済資本と文化資本の内訳(比率)で分類します。
ただ、これは、スパッと分かれるわけではありません。あくまで、程度の差です。

これを視覚化したのが2の図になります。

2の図
2の図↑↑

2の図は上から下にいくにつれて、支配階級、中間階級、庶民階級と分かれます。
横軸は、経済資本と文化資本の内訳(比率)を表しており、右のほうにいけばいくほど、
「お金はあるけれど、教養はそんなにない人」、左のほうにいけばいくほど、
「お金はそんなにないけど、教養はある人」ということになります。

この社会空間上に、ブルデューは、さまざまな職業や趣味、
生活様式をマッピング(⇒地図作成、写像、対応付け、などの意味を持つ英単語)しました。

彼の著書に収録されているオリジナルの図版には、
夥しい(おびただしい⇒非常に多い、はなはだしい)数の幅広い趣味
(飲食、芸術、スポーツなど)が、代表的な職種(農業労働者、教員、自由業、
工業実業家など)とともに書き込まれているのですが、

2の図では、いくつかの職業と、飲食にまつわる項目のみピックアップしています。

70年代のフランス社会を元にした分析ですから、今の日本社会とはいろんな面で違うのですが、
それでも興味深い内容です。このチャート上に、ワインは3ヵ所で登場しています。

まず、第一象限(しょうげん)の右上端に近いあたりに、「シャンパーニュ」。
その下、第四象限の右側には「発泡性ワイン」があります。

泡の出るワインは、値段の高い安いを問わず、「教養とお金と比べると、お金のほうが多い」
タイプの人のお気に入りで、お金持ちはシャンパーニュを、
庶民は発泡性ワインを飲むということのようです。意味深ですね。

もう1ヵ所、ワインが登場しているのは、座標平面中央のいちばん下あたりで、「普通の赤ワイン」
と書かれています。これは当時フランスの庶民が水代わりにガブ飲みしていた、水のように薄い安価な
ワインを指しています。2の図に示された「じゃがいも」、「パン」、「脂身(アブラミ)」といった
庶民食を、安ワインで流し込んでいたわけです。

1970年代のフランス社会とは違って、日本ヤアメリカ、中国といったヨーロッパ以外の先進国では、
ワイン全体がハイソな酒(⇒上流社会・上流階級を意味するハイソサエティー(high society)の略)、
洗練された嗜好品という位置づけを与えられています。ですから、現代日本で図のようなマッピングをし、
ワインを座標平面上に置くとすると、すべてが第一象限および第二象限の比較的上のほうに来るでしょう。

ドン・ペリニヨン、クリスタルといった超有名シャンパーニュ、五大シャトー、オーパス・ワン
ロマネ・コンティといったワインは、第一象限の右上端に近いあたりに位置づけられましょうか。

つまり、お金があっても、ワインの知識があまりない人に飲まれることが確率的に多いということです。
珍しいレコルタン(⇒シャンパーニュの小規模自家栽培・醸造メーカー)のシャンパーニュ、
玄人(クロウト⇒技芸などその道に熟達した職業人・専門家)受けするブルゴーニュの小規模ドメーヌの
ワイン、古酒などは、第二象限の左上端あたりにくるに違いありません。

スーパーの棚に並ぶような大手ワイナリーの新世界ワイン(ニューワールド⇒ヨーロッパよりも、新しいワイン生産国)は、
第一象限の比較的低い位置にくるかなと思いますし、ラングドック地方の隠れた銘酒、オーストラリアの
グリューナー・ヴェルトリナーなどは第二象限の低めの位置でしょう。

ワイン以外のお酒も対象にして、現代日本のアルコール嗜好マップをつくると大変面白いかと思います。

◆「場」が定める美の評価◆
ブルデューの分析は、生活様式全般に渡っている広範なものですが、ここでは芸術の
領域に絞って、ワインの世界との関わりを見ていきましょう。

ブルデューが行ったアンケートのひとつに、知名度の高いクラシックの名曲16作品に
ついての好みを、さまざまな職業、社会階級の人々に尋ねたというものがあります。
つまり芸術の趣味と、人々の職業あるいは社会階級との関係を調べたものです。

3の図
3の図↑↑

3の図は、そのうちの3曲についての職業別嗜好を示したもので、作曲家は、
18世紀のドイツの作曲家バッハ、19世紀のウィーンを舞台に数々のワルツを書いた
ヨハン・シュトラウス、20世紀のアメリカの作曲家で、ポピュラー音楽も書いた幅広い
作曲家ジョージ・ガーシュウイン。前提として、これら3曲とも古典的な芸術作品として、
「美しい=芸術的」価値をもっているとしておきます。

バッハの『平均律クラヴィーア曲集』は支配階級の支持を集め、ジョージ・ガーシュウインの
『ラプソディー・イン・ブルー』は中間階級の、ヨハン・シュトラウスの『美しく青きドナウ』は、
庶民階級の支持を集めたことがはっきりとわかります。

ここで問題なのは、この結果をもって、「バッハはヨハン・シュトラウスよりも美的価値が高い」と
言ってよいかどうかです。ちょっと無理がありますよね。

ワインについても同じことが言えるでしょう。支配階級が支持するロマネ・コンティや五大シャトー、
あるいは有名レコルタンのシャンパーニュは、ラングドックの隠れた銘酒よりも
価値が高いと言えるのでしょうか。

値段が高いのは事実です。しかし、値段が高いのは支配階級が支持してきた結果であって、
ワインそのものがもっている価値やワインの美的価値が高いことの結果とは、違うような気がします。

ではなぜ、支配階級は、
そもそもロマネ・コンティや五大シャトーを、あるいはバッハを支持したのでしょうか。
ここでブルデューは、経済資本と文化資本の軸で構成した「社会空間」(座標平面)に加え、「場」と
いうものを想定します。「場」というのは、「音楽」、「ワイン」といった個々の領域で、いろいろな
社会階級や職業の人々が交流し、音楽なり、ワインについての価値判断を下しあう「場所」です。
ただし、この場にはいろいろな<力学>が働いています。

さまざまな文化的背景をもつ人が、「場」には参加してきます。しかし、そこには明らかに
有利な人とそうでない人とがいます。「場」を支配している文化との距離が大きい参加者は、
異文化適応のために困難を強いられるでしょう。

たとえば会社の就職面接という「場」では、「社会人らしい」言葉使いと身振りが
コミニュケーションを支配しています。敬語が使えず身なりもだらしない若者では、
従属(じゅうぞく⇒他のものの下に、つき従うこと。他の支配を受ける状態にあること)的な
立場でしかその場に参加できませんし、その発言が尊重される可能性も低いでしょう。

芸術作品の世界にあける「場」を考えてみましょう。
そこには、芸術家、芸術評論家、バイヤー、画商、購買者、スポンサーなどが参加しており、
芸術作品の価値や評価、値段が決められていきます。

美術品愛好家は、「場」の評価に基づいて、どの作品を購入すべきか考えます。
我が家にピカソは無理だとしても、それなりに評価が高いと言われる掘り出し物の若手の絵画を
いくつか買って、将来それを売りに出して
ピカソの素描(そびょう⇒美術用語、鉛筆や木炭などの単色の線などで物の形を表した絵)でも、
ということを考える人もいるかも知れません。

ワインについての「場」を構成するのは、ワイン生産者、流通関係者、ソムリエ、シャーナリスト、
コアな愛好家などです。ここでも<正しい>言葉を使ってワインを評価できる人が、場を支配するのは
変わりません。薄給で経済資本の少ない若いソムリエさんも、文化資本を大いに発揮すれば「場」を動かせます。

しかし、この「場」で形作られた価値判断、いまどのワインが優れているのかということは、
支配階級によってただちに取り込まれてしまいます。「場」がよいと決めたワインを、支配階級が
好んで手に入れるようになるのです。

支配階級に属する少数のエリートたちは、「場」の評価を自分たちのものにしているだけなのに、
己の評価にかなった趣味や美だからこそ優れているのだと主張します。そして、
それ以外の人々の基準を排除してしまうのです。

※株式会社美術出版社ワイナート2013年71号から掲載文引用

Part 4

イマヌエル・カント Immanuel Kant (1724~1804)

イマヌエル・カントは、ドイツの哲学者、思想家。
プロイセン王国出身の大学教授である。『純粋理性批判』、
『実践理性批判』、『判断力批判』の三批判書を発表し、
批判哲学を提唱して、認識論における、いわゆる「コペルニクス的転回」をもたらす。

フィヒテ、シェリング、そしてヘーゲルへと続く
ドイツ古典主義哲学(ドイツ観念論哲学)の祖とされる。

後の西洋哲学全体に強い影響を及ぼし、
その影響は西田幾多郎など日本の哲学者にも強く見られる。

●参考文献●
イマヌエル・カント『判断力批判』篠田秀雄訳、岩波文庫 1964/
「人間学」山下太郎役、理想社『カント全集第十四巻』/
1966 リュディガー・ブブナー『美的経験』(竹田純郎監訳)法政大学出版局 2009/
ハンス=ゲオルク・ガダマー『真理と方法 I 』(轡田収他訳)法政大学出版局 1986/
小田部胤久『西洋美学史』東京大学出版会、2009/

◆高級ワインと美の条件◆
ワインのもつ美を鑑賞するには、
当然のことながら、我々の嗅覚、味覚を働かせねばならない。
だが、18世紀に登場した知の哲人は、その美に苦言を呈したとか・・・。

「西洋美学の世界では、ワインが『美しい』かどうかについて、
意見が割れている」ということを書きました。コアなワイン愛好家の
皆さまなら、例外なく「高級ワインは『美しい』に決まっているではないか」
と声を荒げそうです。

しかし、「いえいえ違いますよ。高級ワインといってもね、ただ気持ちいいだけ。
美しくはないの」とバッサリ切って捨てた哲学者がいます。
イマヌエル・カント Immanuel Kant です。

カントは、ほぼ同時代のイギリス人哲学者であるヒュームと同じように、
美は趣味判断に基づくと考え、ワインを例に挙げています。

しかし、ヒュームがワインの鑑定を芸術作品の評価とパラレル(平行)に
据えていたのに対し、カントの立場は正反対とも言えるものでした。

「快適なものに関しては・・・彼の判断は、個人的感情に基づいている。
それだから彼がこの判断によって対象について言えるのは、その物が彼に
とって快いということだけである。

・・・それだから彼が、『カナリヤ島産のブドウ酒は快適である』と言った場合に、
はたの人がこういう言い方を訂正して、彼は、『このブドウ酒は私にとっては
快適である』と言うべきであると注意すれば、彼はこの注意をもっともだとして
喜んで納得(なっとく)するのである」(『判断力批判』)

カントは、感覚器官がもたらす単純な「快適さ=気持ちよさ」と、
もっと高次元の精神活動である美を厳密に区別しました。

「快適さ」の水準にある喜びは、個人的なものに過ぎず、
「蓼食う虫も好き好き」(たでくうむしもすきずき⇒タデの辛い葉を食う虫もあるように、
人の好みはさまざまであるということ)を超える一般性を持ちえません。

だから、「私にとっては快適である」という言い方しかできないのだと。
一方、カントの考える「美」とは、個人の主観に基づきつつも、すべての主観に
あてはまるような一般性をもっています。美に接したとき、人はある種の気持ちよさを
覚えるのですが、ほかの人にも同じ判断をするよう求められる点が違うというのです。

その証拠に、芸術作品を褒めるときには、単に「美しい」と言うのが普通で、
「私にとっては美しい」とはあまり言わないではないか、カントは述べています。

ワイン好きの私たちとしては、カントの主張を論破したいところです。
ただちに思いつくツッコミは、「カナリヤ島のワインなんて、たいしたもんじゃない。
だから個人の好き嫌いのレベルの話にしかならないんだ。これがシャトー・ラフィットなら
話が違うはず」というものでしょう。

しかしながら、この反論は有効ではありません。スペイン領のカナリヤ諸島では、
今でこそ凡庸なワインしか造られていませんが、カントにとっての問題は、
ワインそのものの良し悪しではなく、むしろ味覚と嗅覚と言う感覚そのものにありました。

◆五感に優劣はあるか?◆
西洋の哲学・美学では、古代ギリシャの哲学者プラトンの頃から、
五感には優劣(ゆうれつ⇒すぐれていることと、おとっていること、まさりおとり)が
あるという考え方が連綿(れんめん)とあります。

「聞くことと見ることに比べて他のあらゆる感官(かんかん)は劣ったものである」
(プラトン『パイドン』)。視覚と聴覚は、他の感覚に比べて対象についての情報を
多く届けてくれ、しかも対象から離れた状態でその情報を受け取れず、かつその情報も
部分的だと考えられたため、主観的で「低級な」感覚とされてきたのです。

ただ触覚(しょっかく⇒外の物に触れることによって生物体に起こる感覚)は、
微妙な立場で、17、18世紀には比較的、視覚や聴覚に引き寄せても考えれています。

デカルトは「盲人は手で見る」(『方法序説』)と言い、むしろ触覚が視覚のモデルと
なっています(『屈折光学』)。

ここでの「対象と離れている/接触している」という区分は、その感覚がどれだけ肉体に
依存しているかの尺度になっています。西洋哲学の伝統では、肉体よりも精神を「高級」
とみなすのが普通なので、肉体依存度の低い「視覚」と「聴覚」がエライという考え方は
自然でした。

だからこそ、美についての感覚も、視覚や聴覚がモデルとなったのです。
カントもやっぱり五感を分類して、対象を知るために役立つ客観的なもの・・・視覚、
聴覚、触覚と、主観的で享受的なもの・・・味覚、嗅覚とに分けた上で、ワインの悦びは
味覚と(嗅覚)に属するがゆえに、一般性が求められる美にはなりえないのだと言います。

ワイン愛好家はそのほぼ全員が、世間一般の基準からすると「匂いフェチ」、「味フェチ」
に分類される人種ですから、この「味覚・嗅覚 低級論」には大いに違和感を覚えることでしょう。
実際、「肉体的な」感覚を下位に置くという伝統に対しては、哲学・美学の世界の内外から
さまざまな批評がこれまで出されています。

ここで味覚や嗅覚について、仮に視覚・聴覚と同格・同列だと仮定して見ましょう。
それだけでカントの「ワインは美ではない」説は崩れるのでしょうか。この点を
掘り下げるには、まずカントの考える美の条件をもう少し詳しく知らなければなりません。

◆カントによる美の条件◆
カントが唱える美の条件として、第一に挙げられるのは、先にも触れましたが
「好き嫌いを越える一般性」です。「この物は美しい」というように、美が物の性質のように
語られる際、その物は一般性を有していることになります。

もちろん、実際は、「美」は物の性質ではなく、単なる好き嫌いと同じく主観に基づいて
はいるのですが、一方ですべての主観に当てはまるような一般性があるのです。

「薔薇の花が美しい」というとき、あたかもバラの性質のようにその美しさが語られています。
しかし、厳密には美しさがバラという物や概念に属しているのではありません。

バラの美しさはあくまでひとり一人の主観の中にしかないのですが、全員が同じように感じるため、
その美がバラ事態に属しているかのように錯覚されるのです。

カントはこの一般性について、「共通感覚」というものに根差しているとします。
「共通感覚」はドイツ語で gemeinsinn 英語の common sense にあたります。

英語のコモン・センス「(コモン(common)つまり普通の、共通の、センス(sense)感覚、
判断力という意味)」は通常「常識」と訳されますが、美的な共通感覚が「趣味」であり、
社会的・論理的な共通感覚が「常識」なのだと考えられるでしょう。

なお、この「共通感覚」の根拠はどこにあるのか、なぜ人々の主観が一致するのか、
と言う点については、カントもほとんど説明らしい説明をしていません。

カントの時代、「共通感覚」の存在は「説明不要の前提」のように考えられており、
稀代の哲学者でさえも、わざわざその根拠を疑おうとはしなかったようです。
この点については、改めて考えることにします。

次に、カントは美の条件として「関心がないこと」を挙げています。
「一切の関心を抜きにした仕方での満足の対象を美しいという」(『判断力批判』)。

カントは、美的判断を科学的判断と区別しました。それを「関心なき満足」というわけですが、
「関心」には、さらに現代生活のお役立ち、必要性、欲求といったことも意味しています。

ワインを飲むにあたって、栄養(カロリー)を得たい、酔っぱらいたいといった
生理的欲求に動かされていたり、価格がいくらか、ブランド価値があるか、
飲んで自慢になるのかといった俗物(世間的な名誉や利益ばかりを追う人)的興味
をもっていたりすると、「このワインは美味しい」とは言えないということです。

一方、人がたとえば静物画を鑑賞し、その美しさに心を奪われるときには、
こうした「関心」からは離れたところにいます。名画のキャンバスに花が描かれているから
といって、「食べられるだろうか」とか、「花屋で買ったらいくらするだろう」とか、
普通は考えませんから。

バランスも、カントが考える美の条件のひとつです。物事のバランスないしは調和を考えるには、
個々の構成要素と、それがまとまった全体として積極的に捉える働きが必要です。
それこそが、感性をまとめる「想像力(構想力)」の働きである、とカントは考えます。

ばらばらに与えられる感覚を、まとめるのが想像力です(ワインの初めて飲んだときを思い出してください。
ただもう色々な香りや味が雑然としています)。想像力によって、感覚の全体的なイメージがまとまります。

そこに働きかけるのが、
知性(悟性⇒人間の認識能力の一つ。論理的な思考力。特に理性と区別して、経験界に関する知性。)
であり、通常の認識(客観的認識)においては、想像力がまとめたイメージに知性が「概念」を
あてはめることによって、対象を規定します。

感性のまとまりとして与えられた「なにか」が、知性の概念である「ピーマン」に従って、
「これはピーマンである」という判断をくだされるのです。


◆「青い花瓶の中の花束」ヤン・ブリューゲル◆

美に関わる趣味判断も同様に、認識するためには想像力と知性が必要となります。
ただし、知性は「美」という概念を持ち合わせていないので、対象を客観的にには規定できません。
つまり、美は客観的な「物の性質」ではなく、あくまで主観に基づくものなのです。

客観的認識(通常の認識)では、想像力は、知性という夫(もしくは妻)に従う
従順(じゅうじゅん⇒おとなしくすなおなこと。すなおで、人に逆らわないこと)な妻(もしくは夫)になります。
しかし、美を判断するとき、想像力は知性の縛りをはなれ、相手に寄り添いながらも
自由に戯れる(たわむれる)恋人を演じます。

知性が概念や言葉に縛られていても、想像力がそれ以上の表現をみつけるのです。
そのおかげで、心時よい快の感情がもたらされ、主観に基づきつつも誰もが「あ~これは美しい」と
同意する、美的判断が下されます。

抽象的で分かりづらい話なので、再び花の静物画を鑑賞する例で考えてみましょう。
我々の眼、視覚からは、キャンパスに塗られた油絵の具の情報が次々に入ってきます。
花の白色。花瓶の青色、それぞれの花の形などなど。

その断片的な感覚信号をまとめ、
「花と花瓶が描かれた静物画」としてのイメージにまとめあげるのが想像力です。

一方で、その絵を見る人は、知性の働きによって絵画全体と諸要素についての知的概念をも
手にしています(花、花瓶の知識など)、ここで、知的概念が、あるいは知性の働きが完全に優位に立つと、
「これは花と花瓶の絵であり・・・」という、無味感想(むみかんそう⇒おもしろみも風情もないこと)な
客観的認識が得られるだけで終わってしまいます。

同じ花と花瓶を現したものでも、何の工夫もない記録写真の場合などは、得られるのは、
客観的認識だけでしょう。しかし、対象が芸術の次元にある絵画(かいが)の場合は、想像力が知性と
「自由に戯れる」ことによって、知性による客観的認識を超えた、えもいわれぬ「美しさ」が
現れてくるとカントは言うのです。

◆ワインはカントの条件を満たせるか?◆
ここからは、高級ワインならばカントが示した美の条件を満たせるかどうかを考えてみましょう。
まずは一般性について、高級ワインの卓越性については、個々人の好みを越えた広い同意が
見られるように思います。

その同意の根拠が、カントが考えるような「共通感覚」にあるのか(ヒュームも同様の物を想定し、
「自然本性」と呼びました)、それともブルデューが考えるような社会関係にあるのかはさておき、
一般性という点においては、高級ワインは古典的芸術作品や自然美と同列と言って差し支えないでしょう。
むしろ、現代の「美しくない」芸術作品のほうが、万人が心地よいと感じる一般性については問題があります。

次に「関心がないこと」という条件について。高級ワインの鑑賞を、栄養摂取、
酩酊(めいてい⇒ひどく酒に酔うこと)といった実利的な目的から完全に切り離しうるかというのは、
かなり微妙な問題です。酔っぱらうため、カロリーのためにペトリュスをガブ飲みするワイン愛好家は
稀だと思われますが、さりとて口に含んで吐き出すだけで十分、という人も少ないでしょう。

価格やブランド価値への俗物的興味のほうは、ブラインドテイスティングという方法で遮断できそうです。
これは絵画を鑑賞するときに、画家やタイトルなどの一切の情報なしに、「純粋」に見ることに相当するでしょう。

ただこれは、美に接するいちばんの方法なのでしょうか。ワインを美的に評価するにあたって、
知性という要素が必要だと考えると、そのワインの背景情報(産地、品種、栽培や醸造の方法、
ワイナリーの歴史と実績など)は、むしろ欠かせないものだと思われます。

ワインには、背景情報が俗物的興味による判断につながりやすい傾向が見られますが、
それは芸術作品とて同じです。

最後に、バランスを判断する想像力の働きと、知性との「自由な戯れ」について。
私たちは高級ワインを味わうとき、そのバランスの良し悪しを必ず評価しています。

しかし、バランスがいいだけでは「偉大なワイン」とは考えられません。それぞれのブドウ品種の
魅力が十分に表現されているか、テロワールやビンテージの個性が現われているか、そのワインらしい
スタイルかといった点も勘案し、最終的な評価が下されます。

ティピシテ Typicite

(ティピシテ⇒仏蘭西:Typicite)(テピシティ⇒英語:Typicity)(ティピチタ⇒伊太利:Tipicita)アルザスなどで良く使われる
品種、テロワール、ヴィンテージ、スタイル・・・ひとことにまとめると、(ティピシテ⇒典型性)
(⇒典型性「その土地らしさ、その品種らしさ」フランス語 typicite らしい良さ)が、
カントの言う知的概念にあたるように思われます。

ワインのバランスを判断する想像力と、ワインのティピシテを捉える(とらえる)知性が自由に
戯れた(たわむれた)結果、偉大なワインの美が感じられる・・・これは問題なさそうです。

味覚・嗅覚は無条件にダメ、という前提を取り払ってみると、カントが掲げた(かかげた)3つの美の条件のうち、
ふたつはクリア、ひとつはグレーというのが、今回の結論です。

なお、カントは、バラの花のような自然にも美を認めていますが、美の享受(きょうじゅ⇒受け取って
自分のものにすること、また、芸術美などを味わい楽しむこと)に想像力や知的・精神的な要素を求めるという態度は
その後、もっぱら人の生み出した芸術作品のみ美を認める流れにとつながっていきます。

私たちが愛するワインは、自然美と芸術美のどちらに近いのでしょうか。

味は美を語れるか1~2

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最終更新:2016/06/10 19:38

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