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楽天市場 船橋屋 瀬止凡-C'estsibon-

看板 看板

2011/05/27 14:20

ご報告が遅くなりましたが麻布商店街の皆様から船橋屋に義援金をいただきました。

今回いただいた義援金は、
遺体安置所に大きな花立と、お花を買うことに使わせていただきました。

相馬市内の安置所の花立は、ペットボトルを半分に切ったものに、
小さな花を生けているだけのものでした。

全ての方それぞれに花立を買うことは出来ませんでしたが、
弔いと哀悼の念を込めて、現在も花を生けさせていただいております。

私たちが勝手にそのような使い方をしたことが果たして正しいことなのかわかりませんが、
間違った使い方はしていないと信じております。

もし安置所で花を見ることがあったなら、
亡くなられた方々にも哀悼の思いを、遠くから願っている方々がいるということを、
善意の思いが込められていることを思い出していただければなと思います。


また現在も船橋屋本店では、麻布商店街の皆様から届く衣類などの支援物資をお配りしております。

買い物に来られなくとも、善意にふれていただければ幸いに思います。


感謝の念を込めて、深く御礼申し上げます。

いつか出来る恩返しのためにも、復興へ向け歩んで生きたいと思いますので
どうかあたたかくお見守りいただければ、相馬市民にとっても大きな励みになると思います。

本当にどうもありがとうございました。

最終更新:2011/07/28 16:45

このお店で1週間以内に売れた人気アイテム

2011/05/14 18:00

日付が変わって3月12日。

テレビでは津波の映像と共に、福島第一原発が危険な状況であることを伝えていた。

しかし自分には、
原発は大丈夫、
ここまで影響は無い、
すぐに終息する、と根拠の無い自信があった。

福島県相馬市では、
福島原発のある地域のように
原発の危険性を説く機会は設けられていなかった。

かといって原発が安全なものであるとの認識も無かった。

しいて言うならば日本の科学技術を信じていたのかもしれない。

チェルノブイリから数十年経った現在、
あのような悲惨な事故がこの日本で起こるわけが無いと思っていた。


だから今でも東京電力に騙されたとも思っていないし
ただただ早くこの事故を収束に向けて頑張って欲しいと願っている。

もちろん東京電力から事故は絶対に起きないと説明を受けていた地元住民にすれば
騙されたという思いがあって当たり前なのかもしれない。

だが唯一の被爆国といわれる日本で核が安全なものだという認識があったことに
今でも驚いている。


12日午前1時を過ぎると若干電話がつながるようになったのか…
県外に住む友人達から安否確認の電話がつながるようになった。

その中で原発大丈夫なの?と聞かれた際も
多分すぐ落ち着くんじゃないかなと軽く答えていた。

眠れぬ夜が明けて自分は通常通りにお店へ向かった。

通年ならホワイトデー前で賑わうはずの店内はとても静かだった。
そんな中でも来店するお客さんと励ましあった。
悪くなってしまう前にと…
あげられるものはあげていった。

国道6号線もとても静かに感じた。


その静けさがとても恐ろしく感じた。


午後三時半を過ぎ、静けさは一層増したように思えた。

外に出ても車は数台。
道を歩く人影は見えなかった。

午後4時、お店を閉めようと外の様子を見に行くと…
何か薬品のような異臭を感じた。

どこかの家で何か燃やしているのか?
とても鼻に付く異臭だった。

お店を閉めると本店のある街中へと車を走らせた。

昨日よりもさらに車が少ない…

相馬市街地もやはり静かだった。

地震の揺れに耐え切れずに倒壊した建物が放置された状態で数軒あった。

車を降りて驚いた。

相馬の市街地でも同じ異臭を感じたのだ。


これは一体どういうことなのだろう…

ここまで広範囲に異臭を感じることは今まで無かった。


この時、自分は福島第一原発が爆発したことを知らなかった。


その後自宅のある市街地へ車を走らせた。

車を降りると同じ異臭を感じる。


一体何なのか…
テレビを付けて初めて知ることになる。

福島第一原発1号機爆発。


自分が感じた異臭の原因が爆発によるものなのか…
今となってはわからないが…
同じく異臭を感じた人はいるのではないか。


家族を避難させることにした。

生まれたばかりの長男はまだ生後3週間あまりだった。

最終更新:2011/05/14 18:00

2011/05/09 18:33

3月11日。

いつもよりも遅めにお店を閉めた。

何か必要なものを買いに来るお客さんがくるかもしれない…
そう思いながらお店を開け続けた。

閉店後もお店の駐車場には数台の車が停まっていた。

今思えば家を失った方も含まれていたのかもしれない。


急いで家に帰ろうにも陥没した道路のため思うように進めない。

早く帰りたい…
気持ちだけが焦っていた。

所々真っ暗になった町並みは…
より一層不安を駆り立てた。

こんなにも遠く感じた帰り道はあっただろうか…。


光が見えた。

幸いなことに自宅は電気、ガス、水道共に問題が無かった。

それよりも出迎えた家族の大切さをこんなにも感じた夜は無かった。

室内は壁が一部崩れていたものの大きな損傷は無いように見えた。

それよりもテレビの映像に釘付けになった。


津波で流される家々。

これが本当に日本で起きた出来事なのか…
今いる現実との差がありすぎてよくわからなかった。

ほんの数キロ住む場所が違うだけで…
こんなにも大きな差が生まれてしまうなんて…
無事で居ることがどこか申し訳なく感じた。

それと同時に妻の実家のことが気にかかった。

原釜にある実家…
もしニュースの情報が正しければ相馬港には7メートル以上の津波…
大丈夫なのだろうかと思うと同時に…そのまま言葉にしていた。

返ってきた言葉は…

連絡が取れないだった。

大津波警報が解除されない中、
行ける所までと…
車を走らせた。

帰宅時の道とはまた違い…
陥没や亀裂が走った通りはとても走りにくかった。

何より車の数が少ない。

6号線を越えて海の方に車を走らせると…
徐々に違和感を感じ始めた。

普段はかすかに香る磯の香が…
とても強く感じられた。

その近くまで津波に襲われたんだと思った。

街灯が全て消えた町並…
車の光だけが頼りだった。


言葉を失った。


津波に襲われたと思われる消防車。
道路に打ち上げられた船。
車を走らせていくにつれ車は泥にまみれた。

どこかのテレビ局が取材に訪れているようだった。

それがとても邪魔に思えた。

行ける所まで…
普段なら数分の距離…
実家の途中にあるコンビニエンスストアまで…
水浸しになっていた。

もうそれ以上は、自分の車では進めなかった。
暗闇の中車の光が映したものは…
おびただしい量の瓦礫の山だった。

大丈夫なのだろうか?

ひたすら避難所と思われる公民館の電話を掛け続けたが…
つながることはなかった。


帰っても眠れなかった。

何度も繰り返される津波の映像…
亘理周辺の映像は、
いつも家族で通っていた道だった。

数日前に通った道路がこんなことに…
一歩間違えば津波に巻き込まれていたのは自分たちだったかもしれない。

ぞっとした。

あの日何十、何百と電話を掛け続けたが…
つながったのは数件だった。

こんなに人と連絡が取れないことが
恐怖や不安につながるとは…
身をもって感じた。

眠れぬまま…
朝を迎えた。

3月12日。
福島第一原発1号機、水蒸気爆発の日だ。

最終更新:2011/05/09 18:33

2011/05/07 16:59

店舗再開にあたって…
3月11日以降の福島県相馬市の様子を書かせていただきたいと思います。

お読みいただく方によって不愉快、心が痛まれる場合があるかもしれませんが、
ご了承いただければなと思います。



3月11日。

ホワイトデー前の注文で工場内も売り場内も沢山の品物にあふれていた。
特にホワイトデーギフト用の注文のため、
スタッフ総出でラッピングの対応に追われていた。

店舗では楽天発送分以外にも通常のお客さんの対応にも追われていた。

ヤマト運輸が商品の収集に来るのが17時前後。

それでも14時を過ぎた頃には11日発送分の8割を終えて、
なんとか無事終わりそうだねとスタッフと話をしていた。


14時46分頃

店内にある携帯電話が緊急地震速報を知らせた。

地震くるのかな?
でもたいしたこと無いんじゃない?
そんな会話をしながら発送作業を続けていると、少しずつ揺れを感じ始めた。

ゆらゆらぐらぐらと揺れ続ける中、
揺れは激しさを増していった。

陳列していた商品や、硝子コップなどが落ち始め、
立っていられないほどの揺れ。
悲鳴にも似た声。
何かがドンッドスンッと音を立てながら地面に叩きつけられた。

やばい…
何これ…
もうやめて…

そこは今までに経験したことの無い揺れに対する恐怖に満ちていた。

一向に治まらない揺れに、ただただ何かにしがみつく以外出来なかった。
お客さんを避難させるスタッフ。
電気が消え冷蔵冷凍庫の電源も消えた。

床に落ちたケーキやガラス、粉、砂糖などの材料が散乱していた。

外に目をやると車も大きく揺れていた。
光を無くした信号機も同じように揺れた。

店舗がある場所は高台にあり、地盤が固いことから、
今までの大きな地震の際も比較的揺れは小さく済んでいた。

ところが…。

ここの地盤でこれだけの揺れ…
一体街はどうなっているのだろう。
他の店舗は大丈夫だろうか?
工場は?
そして何より家族は?

生まれたばかりの長男が無性に心配だった。

治まらない無い揺れは一層強く揺れ、
大きな棚さえも揺れ動かし始めた。
必死だった。

早く終わって
もうやめて
助けて

店内は悲鳴と涙声の中騒然としていた。

もうただ祈るしかなかった。


一体どの位揺れたのか…
揺れが治まってからもみんな呆然と顔を見合わせていた。

すぐに家族に電話をしてもすでにつながらなかった。
ひょっとしたら工場の電話なら…
そう思い祈るような気持ちで電話を掛けるとつながってくれた。
家族の無事を確認してくれると電話を切られあとは連絡を待つしかなかった。

みんなが思い思いに家族を心配し電話を掛けたがつながらなかった。

一体今のはなんだったのか…
パソコンの電源を入れたがすでにネットはつながらなかった。
(この時すでに契約したいたサーバー会社のサーバーがダウンしていた)

テレビもラジオも無くインターネットにもつながらない…
情報から隔離された状態だった。

唯一つながった携帯電話もネット回線が混雑していたのか
つながりにくい状態が続いた。

数分後、幸いなことに店舗内の電気が復旧。
冷蔵冷凍庫が動いてくれたのは本当に幸いだった。

店長としてどうするか?

とても悩んだ。
どうするべきか?
何をするべきか?

みんなが一様に不安な表情をしていた。
もちろん自分も同じような表情をしていたに違いない。

どうする…?


普通に営業を続けることにした。

とりあえず営業を続けながら発送の商品を終わらせよう。

そう言葉を掛けたものの、
自分自身何が正しい判断だったのかわからなかった。

その時点ではまさかヤマト運輸の営業所が津波に襲われるなんて想像もしていなかった。


大きな余震とはいえないような揺れを何度も感じた。

自分の家族は大丈夫なのだろうか?

きっと働いていたスタッフ全てが同じ思いだったと思う。

なるべく通常通り、普通にお店を開けていることが使命だとも感じた。

16時を過ぎた頃には楽天での発送分の用意が終わり、
小さな子供がいるスタッフを優先に返すことにした。
そのスタッフの家は…海の目の前にあった。

子供を保育園に迎えに行く。
みんな心配なのにすみませんすみませんと…
何度も頭を下げながら帰っていった。

涙がこぼれそうだった。

自分も家族の安否がわからなかった。
子供を思う気持ちが痛いほどわかった。

その後もスタッフを一人一人帰し、自分は家族の安否確認を待った。

ホワイトデー前にも関わらず来店者は居なくなった。

携帯電話を握り締めた自分に一通のメールが届いた。

地震直後に送られてきたメールが数時間後に届いた。

大丈夫?
壁が崩れて家に入れない。

壁が崩れたことよりも生きていてくれたことに胸を撫で下ろした。

ふっと気がつけば18時を過ぎていた。

ヤマト運輸はまだ収集に来ない。

ひょっとしたら来ないのか…
それともただ遅れているだけなのか…
担当者に電話を掛け続けたがつながることは無かった。

収集所は海の近く…といっても数キロは離れている…。
まさかそこまで津波に襲われていたことなど、
情報源が無くなった店内では思いもしなかった。


18時を過ぎて車が1台、また1台と敷地内の駐車場に停まった。

店内に入ってくると他の店舗の従業員の安否を尋ねられた。
夫なんです。
妻と連絡が取れず…。

言葉を失った。

まだ新しい6号バイパスから大きな波が見えた。
その波を見て山の方に走らせて逃げてきた。
妻が浜の方の家に向かっていた…。
ずっと電話を掛けてもつながらない…。

掛ける言葉が見つからなかった。

もし連絡が取れたら無事を伝えて欲しいと…
妻を捜しに出て行った。

また一人男性が子供を連れて入ってきた。
子供を心配して初めに返したスタッフの夫と子供だった。

妻と連絡が取れないんです…

さっきまで一緒に働いていたスタッフの安否がわからなくなるなんて…
信じられなかった。

大丈夫です。
子供を迎えに保育園に行くと言っていたから海には近づいていないはず。
そう信じるしかなかった。

辺りが暗くなって店を閉める時間になっても
お店の駐車場には数台の車が停まっていた。

お店にあった飲み物と食べ物をあげた。

それくらいしか出来なかった。

早く…
家族の顔が見たかった。




あの日、
祈ることしか出来ない自分がいました。
信じるしか出来ない自分がいました。

奪われたものは計り知れません。
人生が変わった1日になったことは間違いありません。

でもこの日は苦しみの、悲しみの始まりの1日にすぎなかったのかもしれません。

最終更新:2011/05/07 16:59

2011/05/07 14:38

いつも当店をご利用いただきありがとうございます。

今回の震災により楽天市場内での販売を見合わせておりましたが、
準備が整い次第販売を再開させていただきたいと思います。

このたびの震災で商品をお届けできなかったお客様、
ご迷惑とご心配をおかけいたしましたこと、
心よりお詫び申し上げます。

また今回の震災で私たちと同じように、
私たち以上に被害を受けたお客様に、
心よりお見舞い申し上げます。


自分たちに出来うることはなんなのか、
いまだ明確な答えは見つかりませんが、
皆様と同じように復興への歩みを、
少しずつでも進んでいけたらと思っております。

何を頑張ればよいのか、
何に負けなければよいのか、
一体何を信じればよいのか、
時に私も思い悩みました。

それでもやはり自分たちを励ましたのは、
頑張れ頑張れ
負けるな自分、
そんな言葉と、
先の見えない未来を信じたいという思いだったのかもしれません。

私には福島県民の誇りというものは無いかもしれません。

ただ、人としての誇りは、
忘れてはいけないと思っています。

今はただ踏ん張って踏ん張って…
やっぱり頑張っていくしかないのかもしれません。

共に。

私たちを支えてくれた誰かがいたように、
私たちを支えとしてくれる誰かがいるのなら、
もっともっと、まだまだ頑張れそうな気がします。

通常の販売体制に戻るにはまだ若干お時間がかかるかもしれませんが、
今しばらくお待ちくださいませ。

今後も変わらぬご支援をいただけたら、
心より嬉しく思います。


お読みいただきありがとうございました。

最終更新:2011/07/28 16:44

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