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ダイヤモンドは今でこそ、宝石の王座を占め、市場で大きなシェアを占めていますが、宝石を使う歴史の中で、ダイヤモンドがこのような地位を占めるようになったのは、たかだか百数十年たらずのことです。

ダイヤモンドは原石のままでは、あまり光らず、ガラス玉と大差がありません。
色や模様の美しいエメラルド、ルビー、サファイアやめのうの方が、昔は宝石の中でもずっと優位を占めていました。

ダイヤモンドを一番最初にみつけて使い出したのはインドで、紀元前4世紀、ドラビダ族によるといわれています。河原で拾ったのでしょう。
この頃からダイヤモンドの持つ比類ない硬さと、八面体の面に平行に割れ易いという劈開の性質に気がついていたようです。
ダイヤモンドのことを日本語で金剛石といいますが、これはサンスクリット語で「堅固」を意味するバサラに由来します。その後、ギリシャではアダマント adamant という言葉が使われましたが、これまた堅固で侵しがたいものという意味です。
インドではこの時代、ダイヤモンドの売買に税金がかけられ、ダイヤモンド中最も価値の高いものとして、三角形の面八つでできている八面体に対して最高の税金がかけられたそうです。
インドのダイヤモンドには、丸みを帯びた結晶が多いので、それらを劈開して八面体に形を整えていたに違いありません。
ダイヤモンドの持つ劈開という性質は、インドの頃から知られていたわけです。

その後、紀元4世紀になるとボルネオ島でもダイヤモンドが発見されます。
しかしそれらは地方的にしか使われておらず、ヨーロッパにもたらされるダイヤモンドはすべてインド産のものでした。
ローマ時代以降のことです。遠い東洋が唯一のダイヤモンド産地ですから、ダイヤモンドにまつわるさまざまな物語が生まれます。
ダイヤモンドは人間の到達できない渓谷にしか産しないので、それを採集するためには、殺したばかりの山羊の肉をほうりこみ、それを鷲がつかんで山頂の巣に運ぶので、巣の回りに落ちたダイヤモンドを集めるのだとか、この谷はたくさんの毒蛇で守られており、それを退治するために鏡を使ったなど、『一千一夜物語』のシンドバッドの冒険に出てくるような
話がたくさんあります。
この種のお話は、ギリシャ時代から中世までの間に出された宝石や鉱物の本の中にたくさんでてきますし、聖書の中にもダイヤモンドの名前があらわれます。

長いことインドが唯一のダイヤモンド産地で、ヨーロッパへの供給源であったところに、大きな事件が起こりました。1720年代にブラジルでダイヤモンドが発見され、ポルトガル人によってヨーロッパに輸入されるようになったのです。
インドのダイヤモンド商人にとって、これは大きな事件で、ブラジル産のダイヤモンドは質が悪いなどと宣伝しました。ポルトガル人はブラジル産ダイヤモンドをインドのゴアを通じてインド産ダイヤモンドとしてヨーロッパに輸出するという対抗策を取ったそうです。

ブラジルでの発見から130年ほどたって、もう一つの大事件が起こりました。
南アフリカのオレンジ川でダイヤモンドが発見されました。
これはすぐダイヤモンドラッシュを引き起こし、数万人がオレンジ川流域に集まりました。
しかし、もっと大切なことは、このラッシュを通じて初めてダイヤモンドの原岩が発見されたこと、およびその採鉱活動が出発点になってダイヤモンドシンジケートと俗称される今日のデビアス社を中心とするダイヤモンド販売機構が生まれ、確立していったことです。
この機構のおかげで、ダイヤモンドの価格は安定するようになりました。

ダイヤモンドの原岩は、南アフリカのキンバレーの町で最初に発見されたので、キンバーライト kimberlite と呼ばれています。
キンバーライトが発見される以前は、ダイヤモンドは河川の砂礫層の中でしかみつかっていませんでした。
どこか別の場所にあった原岩が風化侵食され、河川で運ばれ、適当なところに堆積した鉱床(この種の鉱床のことを漂砂鉱床 alluvial deposit といいます。多くの宝石鉱物が漂砂鉱床で採掘されています。)からダイヤモンドを採集していたわけです。
漂砂鉱床では、個人個人の労力で、手掘りと椀かけでしかダイヤモンドを採集できませんでした。
キンバーライトは直径1kmものパイプ状をしていますから、事情は大幅に変わり、近代的な大規模採鉱が可能になり、産出量も飛躍的に増大します。
それを売りつくさなければ、ストックばかりをかかえることになります。
こうして、生産量を買い占め、需要に応じてコントロールしながら市場に出してゆくというダイヤモンド販売機構が生まれてきました。
多少の紆余曲折はありましたが、この機構は1998年末では世界のダイヤモンド産出量の約85%をコントロールしていました。
しかし1998年に、カナダの鉱山が操業を開始したことをきっかけに、2000年よりこの販売機構はダイヤモンドの世界的需要の喚起と供給のコントロールによるダイヤモンドの取引を安定化させる役割を放棄し、世界のダイヤモンドの約60%を供給する最大のダイヤモンド原石供給業者として活躍することになりました。

こうして、ダイヤモンドは宝石の王座を占めるようになり、大衆化していきました。
しかし、ダイヤモンドが宝石として広く売れるためにはもう一つ大切な要素が必要です。
原石のままでしたら、ガラス玉とあまり変わりのないダイヤモンドです。
とても宝石の王座を占めるわけにはいきません。
地球上で一番硬い物質であるダイヤモンドを研磨する方法が見つかり、ダイヤモンドのもつ輝きを最高度に発揮するブリリアントカット brilliant cut の方法が発明されたからこそ、ダイヤモンドは宝石の王座に輝くようになったわけです。

地球上で一番硬い物質を研磨できるのは、同じ硬さのダイヤモンドの粉しかありません。
もしダイヤモンドの結晶の中で、硬さがどの方向でも同じであれば、ダイヤモンドの粉を使っても研磨できません。
ダイヤモンドの結晶の中には、より硬い方向とより軟らかい方向があります。
ダイヤモンドの粉を使って軟らかい方向から研磨すれば、ダイヤモンドも研磨できるわけです。
人間は経験を通して、ダイヤモンドの結晶の中でどの方向が一番柔らかいかを探しだしました。
テーブルカット table cut という、ダイヤモンドのカットとして最初にあらわれたカットのスタイルは、ダイヤモンドの結晶の中で一番軟らかい方向をカットしたスタイルです。
その次にあらわれたロゼンジカット lozenge cut と呼ばれるスタイルは二番目に軟らかい方向を研磨したスタイルです。
このように小さな切子面 facet(ファセット)をたくさんつけたカットも可能になり、ローズカット rose cut と呼ばれるカットなどができるようになりました。



次の段階は、輝きを最高に発揮させるカットのスタイルの考案です。
これには、ダイヤモンドのもつ屈折率や反射率などの光学的性質を考慮にいれて、ダイヤモンドに入った光が最大限はね返ってくるようなカットのスタイルを考えることが必要です。
こうして生まれたのが、今日のラウンドブリリアントカットの原型です。
17世紀末のこと、ベニスの宝石商ペルッツイによって考案されました。
この頃生まれたシャンデリアの光の下では、ダイヤモンドのブリリアントカットのきらめきは、他の宝石類を圧倒するものだったことでしょう。
こうしてブリリアントカットが発明されたことが、ダイヤモンドが宝石の王座を占めるに至ったもう一つの理由です。

今世紀に入ってから、ダイヤモンドは南アフリカ以外でも各地で発見されてきました。
第二次大戦後のシベリアでの大鉱床の発見、1985年頃から始まったオーストラリアのアーガイル鉱山の採掘、最近の中国各地での発見、また近い将来期待されるカナダでの発見などです。それにともない生産量もずっと増えてきました。
しかし、大衆化にともない需要はこれを上回っているのが現状です。
その証拠の一つが、宝石用として使われるダイヤモンドの割合の変化です。

1970年代までは、ダイヤモンド全産出量のうち、宝石用に使われるのは20~25%といわれていました。残りの75~80%は工業用に使われていたわけです。
今ではこの比率が宝石用55%と変化してきています。
同じダイヤモンドといっても昔に比べるともっと質の悪いものまで宝石用として売られていることになります。その種のものは、値段もそれだけ安いわけです。
言いかえると、品質の劣るダイヤモンドの量が大幅に増加したといえます。
また、同じ大きさでも品質によって価格に大きな差が生じることから、品質の目安としてダイヤモンドグレーディングレポートが必要になってくるわけです。

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