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ジュエリーの歴史を書くとなれば、膨大な書物が出来上がります。
ここでは、一つの例として、日本において、ジュエリーがどのように発達したかをたどることによって、ジュエリー発達の過程を見てみましょう。

日本の装身具の歴史は、世界の中でも特殊なものです。
日本史での時代区分で言いますと、縄文、弥生、古墳時代までは、他の民族とそれほど変わらない装身具の歴史をもっていますが、古墳時代と飛鳥、奈良時代との境目で、突如として、普通の意味での装身具は姿を消し、以後ほぼ1200年にわたり明治期の初めまで、いわゆる装身具あるいはジュエリーを見ることはありません。

日本人の装身具の歴史に、最初に登場するのは、縄文人がした入れ墨と鋸歯(きょし)加工でしょう。
これなどは、装身具に使える素材が皆無に近かった、あるいは、何を使えば良いのかすら分からなかった時代に、自分の身体を素材にして、装身を図った典型的な例と言えます。




やがて物として耳飾り、腕輪、櫛が登場します。
耳飾りには二種類あり、輪の一部に切れ目のあるけつ状耳飾りと、環状耳飾りと呼ばれる滑車状のものです。
ほとんどが石あるいは粘土製のものです。
腕輪では、食用にした貝の一部を切り取って作った物が多く、普通は貝輪と呼ばれています。
櫛は動物の骨か漆を塗った竹でできており、単なる実用具の域を超えた装飾が施されています。




弥生時代に入ると、青銅器が登場し、ジュエリーでも青銅で貝輪の形を模した、有鈎銅釧(ゆうこうどうせん)と呼ばれる腕輪が登場します。
玉類の初期のものも登場しますが、国産か舶来かははっきりしません。
貝で作った指輪も遺品がありますが、全体では、装身具の遺品は少ない時期であると言えるでしょう。

古墳時代とは大体3世紀から6~7世紀を言いますが、朝鮮との交易も盛んになり、豪族を中心とする国家的な体制が生まれ、大きな古墳が作られ、死者は多くの副葬品とともに葬られるようになります。
同時に遺品の数も急速に増えます。
古墳時代のジュエリーで、最も人目を引くのは、玉と呼ばれる物で、これは陸からとれる玉石と、海からとれる真珠とを指します。
陸の玉とは中国と同じ呼び方で、美しいものを全て含み、素材としては翡翠を始めとして、ガラス、水晶、瑪瑙(めのう)、琥珀(こはく)などが含まれ、形としては勾玉(まがたま)、管玉(くだたま)、切子玉(きりこだま)、棗玉(なつめだま)、臼玉(うすだま)などがあります。
勾玉に見られる通り、前の時代に単に動物の牙に穴を開けただけのものから、同じ形のものを、石という別の素材でデザインするという風に進化します。




もう一つの特徴は、金あるいは銅に金をかぶせた細工品が登場することで、耳飾り、指輪、冠の破片、さらには朝鮮風の帯金具や佩飾(はいしょく)などが出土しますが、残念なことに、これらのほとんどは朝鮮や中国よりの渡来品であり、国内で作られたものではありません。
そうではあっても、これだけのジュエリーが残っていることは、当時の女性達が装身具に対して、強い関心を持っており、実際に使っていたことを示すもので、大変に面白いことです。
玉の類は、糸を通して首飾りにされています。
腕輪も、そして驚くことに、アンクレットまで使われていました。
手の込んだ櫛もあります。
こうして見ると、この古墳時代までは、日本人の装身具の使い方、作り方は、他の民族とほとんど変わりありません。

ところが、これに続く飛鳥、奈良時代になると、日本人の生活から、装身具と名のつくものが水の引くように消えてゆきます。
以来、江戸時代の末期あるいは明治初期に、洋風の服装と装身具とが必要となるまで、いわゆるジュエリーに相当する作品は、ほとんど日本に存在しないという、奇妙な時代が千年以上も続くのです。
どうして日本だけでこうした事態が起きたのか、歴史学者は色々な説を唱えています。
飛鳥時代からは、王権が強くなり庶民が身を飾るのを支配階級は好まなかったとか、古い装身に飽きたとか、衣服の染色技術が発達して装身具は不要になったとか、様々な説がありますが、どれも説得性に欠けます。
櫛(くし)やかんざし、笄(こうがい)を除けば、装身具は日本にはなく、同じような金属加工技術を使った、仏具、武具、袋物などが作られます。
この意味で、技術はあったのですが、それで装身具を作ることを考えなかったということになります。これは実に不思議なことです。




明治になってすぐ、江戸まで生き残った金銀細工師の伝統を生かして、見様見真似の装身具作りが始まり、明治、大正時代の支配階級のためのジュエリーが作られました。
戦争後の民主化を経て、昭和40年頃からジュエリーの大衆化が始まり、現在に至っていることは、ご存知の通りです。
日本が、ジュエリー不在の千年という歴史を思うとき、現在ではアメリカにつぐ、世界第2のジュエリー市場になっていることこそ、不思議と言わねばなりません。

日本の例を取りましたが、どの国でも、ジュエリーは極めて素朴な素材の利用から始まり、素材と技術とが洗練されてゆき、やがて流行という奇妙な目に見えないものがデザインや作りを支配してゆくという、同じような経緯をとることが分かると思います。

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