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2011-05-14 19:25
ジャン=バティスト・タヴェルニエのインドへの道
(その他)
1605年に地図商人の息子としてパリで生まれたジャン=パティスト・タヴェルニエは、驚くべき生涯を送った人物である。
彼は1631年から68年のあいだにインドとペルシアへ6回旅行し、宝石で財をなした。
ヨーロッパから遠く離れたアジアに行く者がほとんどいなかった時代に、彼は数多くの見事な宝石を手に入れ、そのなかでもとくに豪華なものをフランス王ルイ14世に売却し、フランス宮廷公認の商人としての地位を確立した。
ダヴェルニエはムガル帝国の財宝を実際に自分の目で見て、インド・ゴルコンダにあった伝説のダイヤモンド鉱山に足を運んだ。
(ゴルコンダにはかつて君主たちの邸宅があり、アジア最上級の宝石が取引される場所だったが、現在では要塞の廃墟が残されているだけである)
タヴェルニエの記録から、当時、インドの地方の権力者たちが鉱山を支配し、近隣諸国から狙われないようにあまりたくさんの鉱山を開かないようにして、巨大なダイヤモンドを独占していたことがわかっている。
1678年のゴルコンダ王国には23の鉱山があったが、タヴェルニエによれば、その多くが偶然発見されたものだという。
「ある男が雑穀をまくために地面を耕していたとき、約25カラットの素朴なダイヤモンドのかけらを見つけた。(略)男はそれを、ダイヤモンド商人のところへ持っていった。(略)たちまち国中にうわさが広まり、町の裕福な人びとのなかには、地面を堀りおこしはじめるものもいた。(略)これらのなかには10カラットから40カラットの石がたくさんあり、さらにはおれ以上のものもいくつかあった。
なかでももっと大きかったのは宰相ミール・ジュムラがムガル皇帝アウラングゼーブに贈ったダイヤモンドで、カット前に90カラットあった」。
わずかに残されている資料から、16世紀以降、それまで行なわれていた河床などの砂礫層から採掘する方法に加えて、より困難な岩石を掘る方法が用いられるようになったことがわかっている。
しかし岩石を掘るには坑道をつくらねばならず、当時の技術では非常に困難だったはずである。
採石場から穴を掘って25メートルほどの深さまで到達したこともあったようだが、ほとんどは直径数メートル、深さ最大6メートル程度の穴を掘っていたものと思われる。
ダイヤモンドは泥土がつまった岩の隙間にある、とタヴェルニエは書いている。
「男たちがその土を堀り、女と子供たちが決められた場所にそれを運ぶ。土の上に水をかけて、やわらかくする。その水を流し、ふたたび水をかけ、土がすべてとりのぞかれて砂だけになるまでくりかえす。それを乾かして、小麦のようにふるいにかけ、ごみを取り除く。(略)人びとは見張人の目の前で、手でダイヤモンドを探す」。
宝石の知識に詳しく数ヶ国語に通じていたタヴェルニエは、誠実なことで評判が高かった。
しかしその一方で彼は、精力的にヨーロッパ中を行き来していたやり手の商人でもあり、見事なインドの宝石と、インド人に人気のあったイタリア製の安物のアクセサリーを交換して、莫大な利益を得ていた。
また豪華な絹のターバンを頭に巻いたり、高価な毛皮を着たりして、アジアの文化にとけこむ努力をしたことも、彼の成功の一因だった。

【宝石の歴史】パトリック・ヴォワイヨ 著(創元社)より引用
最終更新:2011-05-14 19:45
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